*2020年7月のインタビューになります。
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「Miss SAKEに応募したきっかけは?」
私は高校3年時、母校の交換留学制度を利用し、米国ミシシッピ州に10ヶ月間留学しておりました。
当時は国際線のキャビンアテンダントになるのが夢でしたので、その夢を叶えるために必要な英語力を身に付けることを目的に留学に挑戦しました。
憧れていた米国での留学生活でしたが、私を待ち受けていたのは度重なるカルチャーショックでした。
様々な文化の壁にぶつかる度に、それまで感じたこともなかったような母国愛を感じるようになり、日本人としてのアイデンティティを意識するようになりました。
しかしそれと同時に、私自身が日本について知らないことまだまだたくさんあることに気付かされました。
そのことがきっかけで、私は日本の文化に興味を持つようになりました。
米国での生活で他文化に触れながら日本を客観視したことで、世界で評価される日本のホスピタリティや和食、そして文化の魅力を改めて理解することができました。
高校卒業後は、京都の大学に進学しました。学業とアルバイトで充実した日々を過ごす中で、自由な時間が多い学生の間に日本文化の魅力を世界に発信する活動が何かできないかと考えていました。
そんな時、偶然にも友人に紹介されたのがMiss SAKEでした。
私が日本文化に抱いていた思いとMiss SAKEの人物像が重なっていたことが最大の決め手となり、応募を決意致しました。
「何が魅力で応募しましたか?」
国内外での年間400件を超える充実した活動です。
ミスコンテストというと、グランプリが決定する瞬間がゴールであり活動も国内のみという印象がありましたが、Miss SAKEは最終選考会がゴールなのではなく、そこから国内外での様々な活動に参加するという点に意外性を感じ、とても惹かれました。
上記の質問に対する答えの中でも述べさせて頂きましたが、私は留学を経験して以来、日本文化の魅力を世界に発信する活動がしたいと考えておりました。
ですので、活動として国内はもちろん海外にも赴き、様々な形で日本の魅力をお伝えできるということに最大の魅力を感じました。
また見た目の美しさだけでなく内面の美しさ、知性も審査基準として設けられていること、女性の尊厳を守る為水着での審査が行われないことや身長制限がないことから、文化貢献意欲のある全ての女性に活躍するチャンスが平等に与えられるという点にも非常に魅力を感じました。
「ファイナリストになってどんな変化あったのか?」
京都代表に選んで頂きナデシコプログラムに参加していた頃、私は毎週末関西から東京に通っておりました。
学業とアルバイト、そして週末には東京でのナデシコプログラム。
そんな目まぐるしい日々を過ごすことができた背景には母のサポートがありました。
東京に向かう際は必ずおにぎりを持たせてくれ、早朝に東京から帰ると、毎度必ず母の置き手紙と一緒に朝食が用意されていました。
その何気ない母の優しさがとても励みになったのを今でも覚えています。
ずっと実家暮らしの私は母の存在が当たり前になっていましたが、このナデシコプログラムに参加する日々を送る中で私にとって母がどれだけ大きな存在であるかを知り、改めて感謝の気持ちを強く感じました。
また、ナデシコプログラムを通して知り合った全国のファイナリストもとても大きな存在です。
右も左も分からず不安ばかりだった東京、初めて経験することが多く戸惑いもたくさんあった中で、その日々を乗り越えることができたのは一緒に切磋琢磨しあったファイナリストの存在があったからです。
ライバルでもありましたがそれ以上に、困った時は手を差し伸べ支え合い、互いに鼓舞しあった彼女たちと過ごした時間は、私の中でかけがえのないものとなっています。
Miss SAKEを通して知り合った彼女たちの存在が、私を変化・成長させてくれたと強く感じています。
「応募する前の自分と、今の自分との違い」
私は何事においてもできない自分がとても嫌いで、得意なことは進んでやるものの苦手なことには目を逸らすことがとても多かったです。
そんな自分が嫌で変わりたいという意識はあったものの、なかなか自分と向き合うこともしていなかったように思います。
しかし、Miss SAKEの活動が私を変えてくれました。
2019 Miss SAKEとしての活動が始まった当初は、初めての連続でプレッシャーと不安で押し潰されそうになっていました。
そんな時、私の頭に浮かんだのは日頃から私を支えてくれている家族、2019 Miss SAKE ファイナリストの皆さん、そして大変お世話になったブランドパートナー様をはじめとした京都の皆様の存在です。
この活動は決して私1人の力で実現できたことではない。
京都代表の頃から私を応援してくださっていた多くの方々や、切磋琢磨しあったファイナリスト達、そしてこれまでMiss SAKEの歴史を紡いで来られた先輩方など多くの方々のご尽力により、今2019 Miss SAKEとして活動させて頂けているのだと強く感じました。
そしてお世話になった皆様に活動を通して恩返しがしたいと思うようになりました。
それ以降、自分の言動に責任を持ち、難しいことからも目を逸らさずしっかりと自分と向き合いながら、一生懸命活動に取り組みました。
これまで国内外での活動を通じ、貴重な経験をたくさんさせて頂きました。
そこで見た景色や人との出会いなど、一つ一つの経験から様々なことを学ばせて頂きましたが、一番の発見は「できないことはない」ということを経験を通じて確信したことです。
一見できないように思える難しいことでも、努力を重ねれば必ずできるようになる。
人は挑戦する度に壁に直面しますが、その壁を乗り越えた時に大きく成長できると感じました。
きっとこれからの人生にも多くの壁が立ちはだかっているでしょう。
しかしMiss SAKEの活動を経て学び得た自信と強い精神を持って、これからも挑戦し続けて参りたいと思います。
「あなたから見たMiss SAKEとは」
私はMiss SAKEに応募するまで、モデルの経験やメディアに取り上げられた経験は一度もありませんでした。
特別何かに秀でていたわけでもありません。
しかし私には米国での留学生活を経て、“日本の魅力を世界の人に知って欲しい”という強い思いがありました。
この思いをなんとか形にしたい、そう思っていた時に出会ったのがMiss SAKEでした。
そして京都代表に選出していただき、最終選考会に向けて全国のファイナリストたちとナデシコプログラムを受講しました。
しかしプログラムに参加をする中で、私は時々、何を目指せば良いのか分からなくなることがありました。
なぜなら、Miss SAKEには、グランプリに選ばれる為の一定の基準が存在しないからです。
歴代グランプリの方々を見ても、皆さんがそれぞれ異なる強みを持っていらっしゃり、本当に個性豊かです。
これがMiss SAKEに挑戦する上で最も難しいことであり、一方で他にない最大の強みだと思っています。
なぜならMiss SAKEは、学歴・経歴・経験の有無・身長に関係なく、20歳から39歳までの全ての女性に活躍できるチャンスが等しく与えられるからです。
私は2019 Miss SAKEに選んで頂きましたが、応募段階で何か特別なものを持っていたわけではありません。
Miss SAKEグランプリに必要な素養は、ナデシコプログラムで身に付けることができます。
一番大切なことは素質ではなく、”Miss SAKEに対する思い”です。
私は“日本の魅力を世界の人に知って欲しい”という高校生からの思いをカタチにしたいという一心でMiss SAKEに挑戦しました。
自分の中にある誰にも負けない思いとその実現に向けて努力を重ねたからこそ、グランプリに選んで頂けたと思っています。
Miss SAKEは一人一人の個性やこれまでの経験を最大限に活かせる場所です。
この文章を読んでくださっている皆さんも、少しでもMiss SAKEに興味を持ってくださったら、是非挑戦して頂きたいと思っています。
Miss SAKEで皆さんの熱い思いや夢が実現されることを祈っています。
Miss SAKE 応募ページ
「Miss SAKE Application / 募集要項」はこちら。
一言ではミス日本酒の魅力を言い表すことが難しいほどに、様々な理由でMiss SAKE ファイナリストは応募いただきました。
「日本酒・日本文化のアンバサダーとしての魅力」「水着審査なし、身長制限なしの魅力」などそれぞれのきっかけがあります。
”故郷と世界、日本と世界の架け橋となるアンバサダー”であるミス日本酒(Miss SAKE)にあなたの応募をお待ちしております。