皆様、こんにちは。2026 Miss SAKE Japan 長瀬志珠です。
この度、京都府議会議員 わたなべ邦子先生とのご縁をいただき、福島県双葉郡楢葉町を訪問いたしました。
2026年は、東日本大震災から15年という節目の年です。
邦子先生は東日本大震災以降、福島へ足を運び、農家のお手伝いや避難所等での活動をはじめ、福島の子どもたちを京都へ招いてさまざまな体験の機会を届ける「ふくしまっ子応援 京・体験プロジェクト」にも協力されるなど、長年にわたり福島との交流を続けてこられました。
震災から15年が経った今も続いている京都と福島のご縁。その中で今回、京都からお越しになった皆様とともに楢葉町を訪れる機会をいただきました。
会場となったのは、太平洋を望む天神岬スポーツ公園内にある「展望の宿 天神」です。
はじめに私から、2026 Miss SAKE Japanとして、Miss SAKEの活動についてご紹介させていただきました。
日本酒や日本文化の魅力を国内外へ発信する活動について、そして福島県いわき市出身の私自身が、故郷・福島の魅力や今の姿を伝えていきたいという思いについてもお話しいたしました。
「復興」から、その先の「創生」へ
この日は、株式会社ピーエイ代表取締役社長で「ふくしま創生塾」塾長を務める加藤博敏さんもご一緒されました。
「ふくしま創生塾」の前身である「ふくしま復興塾」は、東日本大震災から2年後の2013年にスタートしました。
福島の復興を担う人材を育て、地域が抱える課題に向き合いながら、新たな事業や雇用を生み出していく。そんな次世代のリーダーを福島から育てることを目指した取り組みです。
加藤さんは立ち上げ当初から、呼びかけ人・発起人・メインメンターとして携わり、現在は「ふくしま創生塾」の塾長を務めていらっしゃいます。
震災から年月が経ち、福島が向き合うテーマも変化する中で、2022年には「ふくしま復興塾」から「ふくしま創生塾」へ。
「復興」にとどまらず、地域の課題解決や活性化、新しい産業や挑戦を生み出し、これからの福島を担う人材を育てる取り組みへと発展しています。
「復興」から、その先の「創生」へ。
15年という月日を歩んできた福島の変化を象徴するようにも感じました。
この日は、2015年に「ふくしま復興塾(現・ふくしま創生塾)」に入塾し、その後楢葉町で活動を続けてこられた株式会社 結のはじまり 代表取締役・古谷かおりさんからもお話を伺いました。
古谷さんは、東京で東日本大震災を経験し、2014年から被災地・福島へ通うようになったそうです。
廃炉と除染の最前線となった楢葉町では、復興の過程で、地元住民と復興作業員との間に距離や軋轢が生まれることもありました。
そこで古谷さんは、人が食卓を囲み、立場を越えて顔の見える関係を築く場所として、小料理店「結のはじまり」を開店。その後は、仕事の都合だけではなく、地域に愛着を持って長くこの土地を選ぶ人を増やしたいという思いから、「シェアハウスと食堂 kashiwaya」の運営など、移住者の暮らしを支える取り組みにも携わってこられました。
今回のお話のテーマは、
「人を呼ぶ、その前に」
移住者を増やすことそのものを目的とするのではなく、その土地で人と人がどのような関係を築いていくのか。そして、一度地域と関わった人が、その後どのように関わり続けていくのか。
実際に楢葉町で人と向き合い続けてきたからこそのお話が印象に残りました。
また、震災から15年が経った現在、同じ「福島12市町村」であっても、避難の仕方、帰還の時期、復興の進み方、移住者の割合、原子力発電所との距離など、それぞれの状況は大きく異なります。
「福島12市町村の課題」と一括りにすることで、かえって見えなくなってしまうものもある。
一つひとつの地域を見て、そこに暮らす人の声を聞くことの大切さを改めて考える機会となりました。
震災から15年、それぞれが抱えてきた思い
後半には、参加者の皆様と意見を交わす時間が設けられました。
テーマとなったのは、
「福島県と関わる中で、自分はどう接点を持ったらいいのだろう」
「言いづらいけれど、こんなふうに感じている」
といった、普段はなかなか口にすることのできない率直な思いです。
震災後に福島を離れたことで、「復興に携わることができなかった」という思いを抱えてきた方。
福島に関わりたいという気持ちはありながらも、震災後も福島に残った方々を思うと、その気持ちを口にすることに迷いがあったという方。
被災地へ行きたいと思い続け、15年を経て今回ようやく訪れることができたという方もいらっしゃいました。
東日本大震災は、地震だけでなく、津波、そして原発事故が重なった複合災害です。
当時は県内でも、避難する人と受け入れる地域との間に軋轢が生まれたり、県外へ避難した方々が福島出身であることを理由に心ない言葉を受けたりしたこともありました。
放射線についても不確かな情報が飛び交う中、「親として子どもの健康をどう守ればいいのか」と悩んだというお話もありました。
そして、皆様のお話の中で印象に残ったのが、
「防災とは、物を備えることだけではない」
ということです。
災害が起きた時、人と人との間にどのような問題や対立が起こり得るのか。過去に起きたことを知っておくだけでも、いざという時の心構えは変わります。
15年前の経験を語り継ぐことは、これからの防災にもつながっていくのだと感じました。
私自身も、この時間の中で震災当時の経験についてお話ししました。
2011年3月11日、私は福島県いわき市で小学5年生でした。
震災後、同級生の中には避難してきた子どもたちもいました。また、放射線への懸念から、体育の授業を屋内で行っていた時期もあります。
当時の私は「少しでも元気を届けたい」という思いで、避難所での活動にも参加していました。
しかし、その後上京してからは、また違った思いを抱いたことがあります。
「福島出身です」と伝えた瞬間、それまでの会話の空気が少し変わる。
もちろん心配してくださっていたからこその反応だったと思います。
それでも、その空気をどう受け止めたらいいのか分からず、一時期は自分から福島出身だと言いにくいと思ったこともありました。
それから15年。
今の私は、福島県出身の2026 Miss SAKE Japanとして、国内外で活動しています。
だからこそ今は、
「福島で震災を経験した私は、今、健康で元気に活動しています」
と、自分自身の姿を見せることも、一つの発信なのではないかと思っています。
震災を経験した福島という事実を忘れるのではなく、それだけで福島を語るのでもない。
15年間で変わったことも、今なお残る課題も、そして現在の福島で生まれている新しい挑戦も伝えていきたいと思います。
私自身、震災についてこれほど率直に話す機会は、これまで決して多くありませんでした。
今回の対話によって何か一つの答えが出たわけでも、すべての気持ちが整理されたわけでもありません。
それでも、普段は言葉にしづらい思いを口にし、それを周りの方々が受け止めてくださる。
それぞれ違う立場や経験を持つ皆様と、こうして率直に語り合えたこと自体が、とても意味のある時間だったように思います。
京都・楢葉・いわきの日本酒を囲んで
ディスカッションの後には、楢葉町の松本幸英町長にもお越しいただき、皆様と夕食をご一緒させていただきました。
松本町長は震災翌年の2012年から町政を担い、避難指示が続いていた時期から、楢葉町の復旧・復興、そしてその先のまちづくりに向き合ってこられました。
この日の食卓には、お料理とともに、楢葉町のお酒「楢葉の風」や京都の日本酒など、さまざまなお酒が並びました。
そして私は、故郷・いわき市のお酒として、四家酒造店の「又兵衛」を持参させていただきました。
京都のお酒、楢葉町のお酒、そして私の地元・いわきのお酒。
それぞれの土地で造られた日本酒を皆様と味わいながら、松本町長から楢葉町についてのお話を伺い、和やかに交流を深めることができました。
日本酒は、その土地の風土や文化、そして造り手の思いを映すものです。
同時に、地域や立場の異なる人たちが同じ食卓を囲み、言葉を交わすきっかけにもなります。
震災直後から福島との交流を続けてこられたわたなべ邦子先生。
2013年から福島の復興と、その先の未来を担う人材育成に携わってこられた加藤博敏さん。
震災後の楢葉町の復興とまちづくりに向き合い続けてこられた松本幸英町長。
そして、福島に新たに関わり、この地で挑戦を続ける方々。
それぞれ立場も、福島との関わり方も異なります。
だからこそ、震災から15年という節目に一つの場所へ集まり、それぞれが歩んできた時間や、言葉にしづらかった思いまで語り合えたことに、大きな意味があったように感じています。
私もまた、震災当時小学5年生だった福島の子どもから、15年後の今、2026 Miss SAKE Japanとしてこの場に参加することができています。
福島県いわき市で生まれ育った一人として。
そして、日本酒や日本文化を通して地域の魅力を発信するMiss SAKE Japanとして。
これからも「震災から復興した福島」だけではなく、今を生き、未来へ進んでいる福島の姿を、自分自身の言葉で伝えてまいります。
このようなご縁をいただきました、わたなべ邦子先生、加藤博敏様、松本幸英楢葉町長をはじめ、ご一緒させていただきました皆様、そして関係者の皆様に心より御礼申し上げます。
2026 Miss SAKE Japan 長瀬志珠
























