Sakeから観光立国
Miss SAKEにふさわしい私とは、と模索の日々。
第8回ナデシコプログラムは、”空飛ぶソムリエ”の先駆者である、「株式会社コーポ・サチ代表取締役 平出淑恵様」による「Sakeから観光立国」のご講義から始まりました。
日の丸を背負うJALで働きながらワインを学んでこられ、ソムリエ資格まで取られた平出様。
ある日、搾りたての大吟醸を口にした際、ワインを学んできたからこそ気づいた日本酒の価値や可能性に「日本酒は日本そのものだ。」と感激されたそうです。
しかし日本酒に対してポジティブな未来を感じてみた平出様は、1970年代に飲酒人口の推移により斜陽を迎えた日本酒業界に危機感を感じられます。また、お子様の運動会を参観した際に、ひとりの子どもに対し6人の大人が参観している様子に「現在の日本人口の縮図だ」とショックを受けられたそうです。
日本人の飲酒人口では日本酒を救えないと考えた平出様は、「日本、日本酒のために地方観光客が必要だ」と考えられ、「Sakeから観光立国」を掲げて活動をされています。
私がお話を伺い、危惧したのは。
フランスにおけるワインの価値、日本における日本酒の価値、また世界におけるワインの価値、世界における日本酒の価値が全く異なることです。
ワイナリーが商売として扱う商品は、ワインだけではなくワインツーリズム収入も収入割合を大きく占めています。
少し調べてみたのですが、ワイン販売に次いでワイナリーの重要な観光収入源はワインのセラードア販売、試飲料やツアー料金、料理教室などの観光体験だそうです。
また、結婚式やプライベートパーティーのために施設を貸してイベント開催などでも収入を得ているそう。
日本酒の酒蔵はどうでしょう。
あまり詳しくはないですが、サケツーリズム収入的なものは酒蔵見学、お土産購入くらいしかなかなか思い浮かびません。
「ワイナリーが燃えた時と日本酒の酒蔵が燃えた時の被害額は全然違う」
という平出様の言葉が印象的でした。
それはまず、事業の数が違うために、動くお金の大きさがワイナリーと酒蔵では規模が全く異なるということです。
どうしたら、私たちの大好きな、愛する、素晴らしい日本酒の価値を上げられるのか?
フランスなどでワインは、啓蒙活動として
- Education
- Competition
- Promotion
を掲げています。
日本にもまず、Education、教育が大切なのでした。そこに目をつけられていた平出様は、日本でも日本酒教育を始めようと、まずJAL WSET ワイン学校の立ち上げスタッフに名乗りを上げます。
“日本酒を世界の酒にする活動”に努め、そしてIWCにSAKE部門創設にたどり着きました。
「step1をクリアしたことにより、自然とstep2がついてきた」と平出様はおっしゃいます。
IWCとは、インターナショナル・ワイン・チャレンジの略で、約40カ国10000種類ものワインがエントリーされる、世界の中でも最も確立されたコンテストの1つで、日本酒部門は2007年(出品酒は228銘柄)より新設されました。
そしてpromotionについて。
“相手の文化を理解した上でプロモーションにまわる”ことが大切だと平出様はおっしゃいました。無理強いしないこと、決して一方通行じゃ何も伝わりません。
また、日本酒イベントを開いてもだいたい参加する顔ぶれは同じだともおっしゃいました。これは私がClubhouseという音声配信SNSで最近感じたことと類似しておりました。
日本酒についてのルームを開き話をしていても、挙手をして話をしてくださるのはだいたい同じような方々になってきて、いつのまにか内輪っぽくなっているのです。うんちく大会になってしまいます。
生産者ではなく、消費者である私たちが日本酒の価値を伝えていくことが重要だというお言葉に私は共感いたしました。それなら私たちも出来そう。でもどうやって?
歴史ある日本に生まれ、日本酒にご縁があり集まった2021 Miss SAKE ファイナリスト21人。
酒サムライに選出された際の小川里美様のお言葉をお借りするならば私たちの「消費者代表」としての活動に生かしていきたいです。
H3教養としての口腔ケアと肺がん
午後は、2021 Mr SAKE JAPAN、日本肺癌学会広報大使、大阪歯科大学5年の富沢武士様による「教養としての口腔ケアと肺がん」のご講義から始まりました。
「Miss SAKEとして、お酒のことだけではなく現在の世界を取り巻く新型コロナウイルスについてなど、医療的な知識、またそれに対する自分の考え、意見も必要」というお言葉からお話はスタート。
新型コロナウイルスについて歯学部の富沢様がお話しする理由として、「歯科業界でクラスターは起きていない」ことを挙げられました。
歯科の施術では、唾液の飛沫が避けられないため、二重マスク、アイガード、フェイスガード、ゴム手袋の小まめな交換など感染対策に大変力を入れていらっしゃるそう。
ひと月程前に、石川県にいる86歳の祖母が新型コロナウイルスに感染し入院いたしました。
その知らせを聞いた当時の私は、もう祖母には会えないのだろうなと悟り、大変悲しい思いをしました。お見舞いは愚か、遺体からも感染の可能性があるため、最期の対面もできないまま火葬まで進んでしまうと聞いていたからです。
結局祖母は一時重症化もしたそうですが、リハビリも含め1ヶ月弱で回復し退院いたしました。
高齢者の感染はイコールで死に直結すると思っていたのでこの結末には、喜ぶべきことに大変驚きました。
無駄に怯えていたのもこれもきっと知識不足のせいなのでしょう。
次に、私が気になっていた口腔ケアのお話をしてくださいました。
肌が白いせいで歯の色素沈着が気になってしまっていたので、ファイナリスト発表会に合わせてオフィスホワイトニングを行っておりました。
医院では、「口の中を酸性にして表面を溶かし、薬を塗るので虫歯のリスクが上がりますよ」とは教えていただけてなかったので少々ヒヤリといたしました。
そういえば、歯の表面がツルツルするようになったなと思うのはきっと表面が溶けたからなのですね、、、施術を繰り返す受け続けると歯が小さくなってしまったりするのでしょうか。
オフィスホワイトニングの後は、ホームホワイトニングとして医院で作ったマウスピースにホワイトニング専用ジェルを塗って口にはめるタイプのものを使用しています。
Miss SAKEとして、歯は大変大切なものですので、笑顔には少し自信がないのですが歯だけには自信を持てるよう努めたいのです。
そんな自信がない笑顔についてですが、美しい笑顔のコツとして、前歯から4本目まで見せるようにし、口角見える三角形の影を意識することを教えていただきました。普段の生活、写真撮影などで意識したいです。
また、経口で色々なものを摂取する私たちにとって、がんや様々な病気を予防するためにも口腔ケアは大変重要だと知りました。
熱すぎるもの、冷たすぎるものを食べることなども、あまり口腔及び体には良くないそうです。知りませんでした。
そして質疑応答タイムでは親身になりファイナリストたちのナデシコプログラムやMiss SAKEの活動についての相談、質問などにも答えてくださった富沢様。
経歴からも伺える向上心、行動力、お話の細部に感じられるユーモラスで親しみやすいお人柄にMr SAKE JAPANたるものを感じました。2021 Miss SAKE JAPANとして富沢様と活動を共にできるよう精進いたします。
夢を叶える、僧
最後のご講義は全日本仏教青年会第21代理事長 倉島隆行様による「夢を叶える、僧」でした。
実はタイトルから少し不思議な気持ちになっておりました。
仏教に疎いのですが、「僧」という方々は、仏への信仰に全てを捧げ、自分の欲などは俗世に捨て去ってしまっているものだと。「夢」を「叶えたい」という個人の願いは叶えられない職業だと思っていたからです。
ひと昔前だったら、僧侶の方々が映画を自分たちで作ってカンヌ映画祭にまで招待されるようなこと、なかなか起こり得る事ではなかったのではないかと思うのです。
愛葉代表のお話で自らがお坊さんなんですよとおっしゃった時と同じような感覚になりました。少し驚いて、半ば安心を覚えたのです。これまで僧侶のことを厳しい修行を超えられて、自分たちとは全く違う次元にいらっしゃる神聖な神様仏様のような存在だと思っていたので、夢を持たれてるということは僧侶の方々も’おひとりの身近な人間’であるということを感じられたのでした。
「典座-TENZO-」という作品は、ドキュメンタリーとフィクションがミックスされた世界で、鑑賞していて大変また不思議な気持ちになりました。
特に目の前で主演のおふたりがお話された後だったので更に変な感じでした。映画の中の出来事やキャラクターは実際の事柄であるようでそうではないこともあって。
映画鑑賞は好きで、年100本ほど見ているので、難解な映画やドキュメンタリー作品にも少しは慣れているつもりでしたが、これまで見てきた作品と全く異なる作風に、なかなか理解が追いつかない点もありました。
典座のホームページを拝見すると、「信仰を失ってしまったわたしたちー今こそ問う、仏教とは?信仰とは?」というお言葉がトップにございました。
既存の「僧侶」というイメージがある中で、この作品はなかなか挑戦的というか、そういう描写を感じました。
河口様も「賛否両論、色々な方に怒られました」と笑顔を浮かべていらっしゃいました。
私が映画と音楽に共通して好きなところは、座席に座ってしまえば、再生ボタンを押してしまえば、指揮者が棒を振り始めれば、観る人聴く人は何のアクションをしなくてもその芸術情報が自分たちに流れ込んでいくところです。
こうした媒体のひとつである映画で仏教の心を発信することで、日本人は勿論世界中の人々にこの精神論が届いていくと思うと嬉しくて仕方がありません。
最後に僭越ながら、「私の学ぶ西洋芸術は全てキリスト教に深く根付いていて、神様を信じる文化圏の方々と無宗教な日本人である私が同じ歌を歌っても深い精神の部分で勝てない気がしています。自分の芸術のため、この機会に何かを信じてみたいのですが何から始めたら良いのでしょう」と質問させていただいた際、おふたりは優しく微笑んで「日本人は無宗教なのではなく寛容なのです」とおっしゃいました。
禅の言葉で柔軟心(にゅうなんしん)といわれるように日本人は固定観念や先入観、思い込みに捉われず素直な心、広い心を持っており、まわりの様々なものを自然と受け入れているのです、と。私には、「そしてもちろんあなたもそうなのですよ」とお言葉を投げられているように感じました。力がふっと抜けたのを覚えています。
私は何も信じてないわけではない。まわりのもの全てを受け入れ感謝しているのだ、と思えたからです。
このご講義の次の週、モーツァルトのモテット(宗教曲の一種)を歌ってみたのですが心意気が全く違いました。
キリスト教の本懐はまだまだ理解しかねる部分がありますが、寛容の心で全てを受け入れ歌ってみると、気持ちの上でのびのび歌えました。
西洋の音楽を歌うにはキリスト教を理解しなくては・・・と勉強も勿論しておりましたが、宗教宗派などの壁を超えた、もっとおおらかな意味での信仰心を持った日本人ならではの柔軟心を武器にして、音楽の勉強、Miss SAKEの活動、普段の生活に取り組んでいきたいです。